こんばんは(*^-^*)西舘です。
「BAR屋」(通称「バーテンダー」。「BAR屋」は僕が勝手に名乗ってる名前なので、文中は「バーテンダー」と名乗ります)
お客様にお酒を提供して、軽くお話をする仕事。
業務的には以上2点で片付くほどシンプルな仕事です。
でも、これって本当に業務的な話であって、「バーテンダー」という仕事の奥底にある楽しみの本質っていうのはもっと壮大で夢のある仕事だと僕は思っています。
きょうはそんなお話です。
夢が見つからない。
平凡な毎日に退屈している。
何が欲しいかわからないけど何かを欲している。
そんな昔の僕みたいな人がもしいたら少しだけでも読んでくれたら嬉しいです。では!
僕が思うバーテンダーを続けている本当の理由
ふとベランダへ出て快晴の空を眺めながら考えてみたんです。流れてく雲と少しだけ吹いている風にあたりながら「バーテンダーっていったい何のために存在してるのかな?」って。
僕が導きだした答えはこうです。
「誰かのためのサードプレイスになるため」
関連記事:バーはお酒を飲む場所じゃなくて、人生における「サードプレイス」
仕事をしている多くの人は目の前にある業務を片付けることに追われている気がします。事実、たくさんのお客様との会話の内容はに非常に現実的な話ばかりですので。
「ぜんぜん仕事が終わらなくて・・・」
「しばらく休んでないんですー!」
「残業続きでぜんぜん夏楽しめてないですー!」
目の前に仕事があってそれをこなしていくことは当然の話です。別に変なことでも何でもありません。
でも、それっていったいどれだけ自分のためになってますか?
どれだけ自分の人生に花を添えてくれていますか?
その仕事が完璧にできたとき、何か得ることはありますか?
バーテンダーの仕事も一緒です。準備して、開店して、お客様がいらっしゃり、お酒をつくり、会話をして、お見送りして、片付けて、閉店する。この繰り返しです。
毎日同じことの繰り返しです。
正直”飽き”を感じることだってあります。
ただ、もっと深く考えてみたんです。
「バーテンダーの自分にしかできない壮大なミッションは何か」と。
事務員さんにはできない、大工さんにはできない、ミュージシャンにはできない、バーテンダーだからこそできるミッション。恰好つけていうのであれば「国に、社会に還元できることって何だろう?」って。
そんなことを考えてみて、今までのバーテンダー人生とお客様の表情を思い出してみた時に出た答えが、「誰かのためのサードプレイスになるため」にバーテンダーは存在するべきなんじゃないかってこと。
バーテンダーはお酒を提供しています。最近ではノンアルコールカクテルなんてものもたくさんあります。
でも、お酒ってどこでも飲めますよね?居酒屋でも中華料理屋でも、なんなら自宅でもコンビニの前でも飲めます。なのにわざわざバーにまで足を運んで自分で買うよりも高いお金を支払ってくれる人がたくさんいるんです。
これってなぜだろうって。答えは何個かあります。
・プロの手掛けるカクテルの方が断然美味しいから
・バーの雰囲気が好きだから
・ちょっとした贅沢として
・素敵なバーテンダーがいるから
これ、全部ひっくるめて「誰かのためになっている」んですよね。高いお金を払ってでもそこで飲む、そこで過ごすことに価値を感じてくれているってことです。
たとえば、自宅のフライパンで焼いて食べるお肉よりも外で焼いて食べるバーベキューの方が同じお肉でも味が変わりますよね。
原理としては一緒で、バーテンダーはその最たる故に属する仕事なんですよ、本質は。バーベキューと違って「外で焼く」という大きな枠ではなくて、「どこで、誰がいる場所で」と細かな枠が設定されている。「外で焼く」だけだったらかなり広範囲でありますよね。近くの公園でもいいしキャンプ場でもいい。極論海外の草原でもいいわけです。
でもバーテンダーがいる場所って「点」なんです。何ビルの何階の店だったり、何丁目の角の2軒目であったり。そんな「点」の場所にお客様は集まってくれているんです。そのお客様にとっての自宅と職場以外の空間、つまり「サードプレイス」になることこそがバーテンダーとして生きていく意義な気がしています。
誰でもかれでもサードプレイス的な存在にはなれるわけじゃないですからね。誰もが足を運べる場所に属しているからこそ夢にできる、夢として持つことが許されるているんです。
だったらその夢、盛大に叶えてやりたくないですか?って話ですよ。自分にはその権利がありチャンスがあります。やるもやらぬも己次第。じゃあやらなきゃ損でしょって。
そして、バーテンダーとしての自分が誰かにとっての「サードプレイス」になれたとき、とても嬉しい気持ちと自己肯定感が生まれます。一石二鳥です。
実際に僕を慕って来てくださるお客様がたくさんいらっしゃいます。もちろんお店の良さによって出会うことができたんですけど、良いお店なんてほんと腐るほどあります。その中で「お店の人間」としてではなく「ひとりの人間」としてお客様に接してきたこのスタンスは間違ってなかったと確信をもって言えます。
そこに働いている側も働いていない側もない。だって人間同士ですから。あくまで出会うきっかけがお店だったってだけ。じゃあその出会い、どう生かすかって話です。自分が引き金となって相手の心に打ち込まれに行けば自ずと結果は見えてきます。
誰かの心に内心ビビりながら打ち込まれに行く。その先にある光景がこれまた絶景なんです。そこで生まれるものが「誰かのためのサードプレイス」です。
おわり。
yuki_nicccy
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