世のBAR屋に問う。「キミは『だれかの居場所になる』という大義を背負っているか!?」

nicccyの「BAR屋」論
「大義」たいぎ

重要な意義、大切な事柄。

 

 

「大義」って言葉がすごく好きなんです。なんか壮大じゃないですか?目の前に起こっているすべてのことは誰かの「大義」を映していると考えると妙にテンションが上がる感覚を覚えます。

 

 

たとえば「道路」。

「道路」には、「みんなに快適な日常を届けたい!」という大義があります。道路がなかったらやばいですよね?道がないところを車や人が自由に行ったり来たりを繰り返す。事故なんて多発も多発。で、この大義の下に「時速80kmで走っていい道路があったら便利だよね?」みたいな疑問から高速道路が生まれたり、「ここの交差点は車は右だけ曲がれるようにしよう」みたいな案から青い矢印の看板が生まれたりします。つまり、「大義は抽象的、そのあとに具体的な策がある」ということです。

 

 

じゃあ、「BAR屋」が持っている大義ってなんだろう。

初めて「BAR」的な場所を作った人はいったいどんな気持ちだったんだろう。

そんなことを考えていましたらですね、僕なりの結論が出たのでは発表しようかなと思います。

 

 

世のBAR屋に問う。「キミは『だれかの居場所になる』という大義を背負っているか!?」

はい。僕が出した「BAR屋が持っている大義」、それは「だれかの居場所になる」です。めちゃくちゃ抽象的ですよね?でも良いんです、大義っていうのはこういうもん。知らんけど笑。

 

 

バーに馴染みがない方の多くはきっと、「バーはお酒を飲みに行く場所」「デートスポット」「ウイスキーマニアのたまり場」などなど、基本的にお酒が軸となっている場所だと考えているのではないでしょうか。完全に「ブブーっ!まちがいでーす!」なんて言う気はさらさらないんですけど、ちょっと違うんですよね、現実って。

 

 

じゃあ「BAR」は何が軸となっている場所なのか。それは空間ですよ、空間。お酒はあくまでオプション的なものです。空間っていうのはだれしもがお気に入り、えこひいきにしている場所があるはずです。街中のカフェや漫画喫茶、激安スーパーやショッピングモール、彼氏彼女の家などなど。つまり、さまざまな空間っていうのはさまざまな人にとっての生活インフラなんです。

 

 

となると、世の数多くの「BAR屋」は、大義として「だれかの居場所」なんだということを強く意識する必要があると僕は思うわけです。自分の居場所じゃなくてだれかの居場所。そのだれかっていうのは説明するまでもなくお客様なんですけど、そのお客様の生活インフラまたは今後生活インフラになりえるって考えてたら適当に仕事なんてできませんよね?

 

 

たとえば、電気が気まぐれで付いたり付かなかったりしたらどうですか?困りますよね。まだ読み終わてないんですけど、そのマンガ的な。

シャワーからお湯が出たり出なかったりしたらどうですか?困りますよね。シャンプーまだちゃんと流してないんですけど的な。

お湯を沸かしてる途中で火が付いたり消えたりしたらどうですか?困りますよね。楽しみにしてたカップラーメンが食べられないんですよ的な。

 

 

生活インフラは安定して供給されないとダメなんです。てか、安定していないと生活に支障が強く出ます。なのでBAR屋が「だれかの居場所になる」と大義を持ったのであればただそこで営業しているだけじゃダメで、安定した商品やサービスがあり続けないといけないわけです。掃除が行き届いてるとか、欠品しないとか、挙げ始めたらキリがないので止めておきますが、すべては「だれかの居場所になる」という大義さえいつも忘れなければステキな空間は維持可能です。

 

 

逆に、うまくいかない時や気が落ちてる時にも「だれかの居場所になる」という大義を思い出せば、おのずとやるべきことが見えてくるものです。初心に帰るに近いですかね、感覚的には。

 

 

だから、「僕はこうしたい!」「私はこうしたい!」という素晴らしい意見の数々もすべては「だれかの居場所になる」という大義に沿っているものかどうかってところがとっても大切になってくるわけですよ。やりたいことをやりたいようにやって場所が成り立つのであればそんな楽なことはない。ただ、それは意見を出した人のエゴの場合がかなり多いから気を付けないといけないんです。つまり、だれかの生活インフラの一部として機能するのか、喜ばれるのかって部分をしっかりとイメージしないといけませんってこと。

 

 

たとえば牛丼チェーンで、20分待たされる釜めしを用意したら喜ばれるのか。需要はあるのか。ゼロではないんでしょうけど、まあ限りなく0だと思いますよね?「早い!安い!旨い!」がコンセプトのお店にいらっしゃる人にとっての生活インフラである牛丼チェーンはあくまでコンセプトを見失った策は取るべきではないんです。だって求められてないんだから。ま、釜めしをどうしても出したいのであれば5分で炊ける魔法の釜を作ればいいだけなんですけどね。ちなみに僕は釜めしが大好きです。20分でも30分でも待ちます。ゆっくり炊いていいですよ、店員さん。

 

 

「だれかの居場所になる」ことはとても幸せなことです。だって、役に立ってるって実感できますからね、生きてる心地とでもいいましょうか。そして、世のため人のために僕は生きていきたいし、ただそれが快感でさえあるってもんです。

 

 

何が起こったって、

どんな逆風が吹いたって、

必要としてくれるだれかがいる限り、がんばれます。動きます。

 

 

たまに休みますけどね。あはは。

 

 

おわり。

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yuki_nicccy

札幌の「BAR PENCIL VANI;LLA」代表。 1985年生まれ。21歳の冬にBAR屋の職に就き、現在まで延べ10万人以上のお客様と接する。 趣味は「楽しくお酒を飲みながらさまざまな人と話すこと」「読書」「カフェで引きこもること」「北海道コンサドーレ札幌の応援」。